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 ある日、エリエお姉ちゃんに「町に遊びに行こう」って誘われたことがありました。
 村は山の中にあるので、他の町に遊びに行くには山を下りなくちゃいけません。だけど山道は険しいし、道路を通るにも距離が長くて大変だから、村の人は村で共用の車を使うか、シゲおじさんみたいに外に仕事に行く人の車に一緒に乗せていってもらうのが普通でした。
 エリエお姉ちゃんは高校生だし、車は運転できません。外の学校に行くときはいつもシゲおじさんか他の誰かに車で送り迎えしてもらっていました。
 町にはおもちゃやゲームを売っているお店やお菓子屋さん、本屋さんに映画館とか、村にはないお店がいっぱいありました。村の子どもはみんな町に行きたがっていたけど、遠い上に危ないと大人たちに反対されるので滅多に行けませんでした。シュンくんが七才の誕生日、町のお店までケーキを買いに連れていってもらったときは、みんなでシュンくんに町のことを質問攻めにしたりしました。
 ぼくも町に憧れていたけど、チハヤおばあさんに「神さまが村から離れたら村のみんなが困ってしまうよ」と怒られて、一度も行ったことがありませんでした。シゲおじさんにもこっそり頼んでみたけど、駄目だと叱られて車に乗せてもらえなかったです。
 だから、エリエお姉ちゃんに誘われたときはすごく嬉しかったけど、どうやって行くんだろう、と気になりました。ぼくはもちろん、エリエお姉ちゃんだって学校以外では車には乗せてもらえないはずなのです。それとも、みんなに内緒で連れて行ってくれる大人がいるのかな?
「大人には頼らないよ。わたしたちだけで行くの」
 僕が聞くと、エリエお姉ちゃんはそう答えました。
「二人で山を下りるんだよ」
 それを聞いて、とてもびっくりしました。村から町まで……何キロするのか知らないけど、子どもの足で歩ける距離ではないのは確かなのです。山の周りをぐねぐね曲がる道路を車で一時間くらい走って、ようやく町に着いたのだとシュンくんが言っていたのを思い出します。
「それは、道路を歩いたらの話ね。別の道で行けばもっと早く着くんだ」
 エリエお姉ちゃんが提案したのは、舗装された道路を通るのではなく、山を直接下るルートでした。
 確かに車で通れるように山を迂回して勾配を緩やかにしている道路より、山道から真っ直ぐ下りて行くルートなら直線的な距離は短くなることは子どものぼくでもわかりました。だけど……山歩きが過酷なのはそれ以上にわかることでした。 
 山の中の村だから、村の子どもはみんな山で遊びます。でも、すぐに村に戻れる距離までにしなさいと大人たちにしつけられていました。山を下りたり登ったりするのはとても危険です。でこぼこした道で転んだり、崖や沢に落ちてしまったり、迷って遭難してしまうことだってあります。そうやって山で逸れてしまった子は、“おがみむし”に捕まって食べられてしまうのだ、と何度も脅されました。
「“おがみむし”なんていないよ、あんなのただのおとぎ話。大人が子どもに言うことを聞かせるためのでっち上げなんだよ」
 ぼくが不安なことを伝えると、エリエお姉ちゃんはそんなふうに笑いました。
「大丈夫。前からずっと、町に行くための道しるべを作ってたの。道しるべに沿って山を下れば、迷ったりしないで町まで行けるよ」
 なんと、エリエお姉ちゃんは以前からひとりで山を歩いてルートを開拓していたというのです。そんなのとても危ないし、大人に知られたら絶対に怒られます。でもエリエお姉ちゃんはそうやって自分で作った道を使い、何度も町まで行っているというのです。
 今だったら、まだ中高生くらいの女の子がそんなことしたら危ないってわかります。きっと道を作る途中で転んだり迷いかけたことがあるはずです。でもそのときのぼくはまだ子どもで、エリエお姉ちゃんのことを「もうすぐ大人になる人だからなんでもできるんだ」と思っていました。
「ね、一緒に行こう。わたしが道案内するから、何も怖くないよ」
 何度も念を押され、ぼくも行きたくてたまらなかったのですが、それでもまだ不安でした。大人の言いつけを破ったら何か悪いことが起こるんじゃないか。バレたら絶対叱られる。それに、ぼくは神さまなのに、そんな悪いことをしていいのかな。
「良いこと教えてあげるね」
 迷ってなかなか答えが出せないぼくに、エリエお姉ちゃんがいたずらっぽい顔で言いました。
「町にはケーキ屋さんがあるんだよ。白くて甘いクリームがたっぷり入ってて、真っ赤なイチゴが載ってるの、食べたくない?」
 ぼくはエリエお姉ちゃんについて行きました。

 

 山を下りるのに、エリエお姉ちゃんの道を使っても一時間はかかったと思います。
 エリエお姉ちゃんが木に目印のリボンを巻いてくれていたので、リボンに沿って歩けば迷うことはありませんでした。けれど、足元がでこぼこしているから何度も転びそうになったし、急な坂を足を滑らせないように下りるのは本当に大変でした。
 もうやめよう、やっぱり帰る、と何回もエリエお姉ちゃんに言いました。疲れたから、ケーキなんていらないから村に戻ろうって。でもエリエお姉ちゃんは「もうすぐだからもうちょっと頑張ろう」と言って下りるのをやめませんでした。
 エリエお姉ちゃんはいつもぼくに優しくしてくれたけど、そのときのエリエお姉ちゃんはすごく頑固で、ちょっと怖かったです。
 頑張って頑張って歩き続けて、ようやく町に着いたときにはへとへとでした。山を下りて、さらに三十分は歩いたと思います。アスファルトで舗装された道路とか、コンクリートで建てられたビルとか、村にはないような初めて見るものばかりだったけど、疲れすぎてあんまり気にすることもできませんでした。
「もうへばっちゃったの? しょうがないなあ」
 エリエお姉ちゃんは倒れそうになっているぼくの手を引いて、喫茶店に連れて行ってくれました。そこでぼくは生まれて初めて、クリームがたっぷり入った本物のケーキを食べたのです。
「ケーキ、美味しい?」
 疲れも忘れて夢中になってケーキを食べるぼくを、エリエお姉ちゃんは嬉しそうに見ていました。
「またケーキを食べたくなったら、いつでも町に行っていいんだよ。きみはもうひとりで山を下りられるんだから」
 エリエお姉ちゃんはぼくに山の下り方を教えるためにこんなことをしたようでした。
 けど、ひとりであんな道を下りるのは怖かったし、いくらケーキのためでも大人の言いつけを破るのは嫌でした。エリエお姉ちゃんと一緒がいい、とぼくが言うと、エリエお姉ちゃんは「だめ」と首を振ります。
「わたしも一緒が良いけど、今度はきみひとりで下りるんだよ」
 エリエお姉ちゃんがなんでそんなことを言うのか、なんでエリエお姉ちゃんはぼくに山を下りさせたかったのか、そのときのぼくにはまったくわかりませんでした。

 

 全部エリエお姉ちゃんのおかげでした。
 大雨のせいで道路がめちゃくちゃになって、誰も助けに来てくれないから、ぼくはひとりで山を下りました。
 山の中もぐちゃぐちゃになってて、道がわからなくなったし、何度も何度も転んだけど、それでもなんとか山を下りることができました。
 村の人も、エリエお姉ちゃんも、誰も助けてくれませんでした。
 みんな死んじゃったから。
 エリエお姉ちゃんは、最初から全部知っていたんでしょうか。
 御嫁取りでお嫁さんになって、

 

 これ以上は書きたくないから、今日はもう書くのやめます。
 

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