霧栄青年と再び顔を合わせたのは、初対面から一週間ほど経った頃だった。そろそろ梅雨が近づき、植樹帯を鮮やかな紫陽花が彩る季節である。
「ごめんごめん、思ったより時間がかかっちゃって」
配信や諸々の打ち合わせでなかなか時間が取れないので、こちらの都合で呼び出してもよいか、と事前にメッセージアプリで相談されていた。こちらはいわゆるフリーランスかつ在宅ワーカーと呼ばれる身であるため特に問題はなく、生計を立てるための原稿作業をしながら連絡を待っていたところ、「時間が取れたので某回転寿司チェーン店に来てほしい」と呼び出されたのだった。
「もうちょっと早く書けるかと思ってたんだけど、全然書けなくて。あんまり待たせるのもなって、なんとか書いてきたけど」
先にテーブル席についていた霧栄青年は既に食事を始めていて、レーンより流れてくる皿を片っ端から取っては目を見張る速さで口に入れていた。レーンの最後列でなければ今頃顰蹙を買っていたであろうペースで、彼の横に流れてくる皿が次々取られていく。
「あ、今日は朝から食べれてないからちょっとお腹空いてて。兄口さんってお行儀良くないと気になるタイプ?」
「い、いえ……どうぞ、ゆっくり食べててください」
正直、行儀よりもその異常な食欲に引いている。テーブルの三分の二が既に皿の山で埋め尽くされているのだ。一皿百円程度の安価なチェーン店とはいえ、きっととうに会計額は万を超えている。
何より、霧栄青年の体型は細身で、むしろ華奢と言っていいくらいに見えるのだが、あれだけの握り寿司が彼の身体のどこに入っていくというのだろう。口内に真空か特殊な力場があって、そこで食物が超圧縮されているとしか思えない。
「兄口さんもなんか食べたかったら食べていいよ。こないだ動画がバズっていっぱい収益が入ったから」
「今は……お腹空いてないので……」
食べようにも君がどんどん皿を取っていくから食べるものがないのだ、という大人げない反論は胸にしまい、彼の向かいに座る。とりあえず給湯口から湯呑みに白湯を注いだ。
「……あつつつつつ!?」
「うわ、ちょっと大丈夫!?」
――注ごうとして、給湯口の位置を見間違え、左手に熱湯をかけるなどの事故があったことは、まあ特筆してまで語る必要はないだろう。
「兄口さんって、その、ちょっとうっかり傾向が強い人なのかな?」
「面目ないです……」
二度目の対面でまたも大ドジを踏んでいる私に白い目を向けながら、霧栄青年は本日何十枚目――あるいは何百枚目かの皿を取って寿司を口に入れていた。みずみずしくてかるいくらを載せた軍艦である。
「よく食べますねえ……」
これこそ行儀の悪い指摘だと思うが、つい口をついて出てしまった。
「やっぱりその、配信? とかで、ご飯をいっぱい食べる企画したりするんですか?」
霧栄青年の人となりへの理解を深めるために、前回帰ってから配信業について軽く調べたところ、活動の幅がそれこそ人の営みの数だけ多様化していることを知った。流行りの曲を歌ったり、購入した商品のレビューをしたり、ペットとの暮らしを紹介したり……いわゆる“大食い”も配信においては人気ジャンルのようで、配信者達が専門店や家で思う様食べる姿を映した動画が大量に検索結果に上がってきた。
今の霧栄青年の食べっぷりをスマートフォンで撮影してYouTubeなりTikTokなりにアップロードすれば、彼の言うところの“バズり”が発生するのでは、と考えるのは素人の浅慮か。
「……うーん」
私の言葉に霧栄青年は、口の横についたいくらをつまみとって口に入れながら複雑そうな顔をした。
「マネージャーさんからもよく言われるけど……ぼくはそういうの、あんまりやりたくないんだよね。ブランディングとかじゃないんだけど……」
「はあ」
ブランディングとはなんだ、また新しい用語が出てきたなと思いつつ相槌を打つ。
「ほら、最近はSDGsとかフードロスとか、『大量生産大量消費って時代じゃなくない?』みたいな風潮あるじゃん。インターネットで活動してて、バズり方の研究しててそんなこと言うのって言われそうだけど。でも実際、視聴者さんの中には『この人は環境のこととか考えずに食べたいだけ食べるんだな』とか思う人もいるだろうし、そこをつついて悪意を持って燃やしてやろうって人もいるかもしれない」
「炎上に繋がるリスクのある活動はしたくない、と?」
「配信でやるとしたら見てもらいやすいように演出しなきゃいけないし、激辛のもの食べたり、実際食べれない量まで食べてるようにしたり、どんどん内容が先鋭化してっちゃうしね。こういう活動してる以上はある程度覚悟してるけど。でもぼく、食べること好きだし、日常の一つだと思ってるから。それをお仕事にしたくはないかなって思うんだ」
好きなことだからこそ、それを生業にはしたくない――ということか。霧栄青年の言葉にはまたも知らない単語や観念が登場し、いまいちよくわからない部分もあったが、言わんとするところはおおよそ理解できた。
『好きなことで生きていく』などという私ですら知るキャッチフレーズが出てきて久しいが、『好きなこと』を商売にする苦労は旧来の職業も配信業も変わらないのだろう。
メディアと庶民の距離が遠かった時代ではなかなか知られていなかったが、スマホさえ持っていれば誰でも発信者になれる現代。モラルやコンプライアンスという概念は若者のほうが理解が深いのかもしれない。耐えず寿司を食べ続ける霧栄青年に対し、漠然と脳天気さや楽観的な部分のある人物だと思っていた私は認識を改めた。
いわゆる"神"──インターネットの人気者を続けるのは、決して楽なことではない。
神。
芯張村が滅んでなお、彼は“神”でい続けているのだろうか。
誰からも信仰されていない“現人神”に、はたして存在意義はあるのだろうか。
寿司を食べ続ける霧栄青年を見ながら、私はしばらくそんなことを考えていた。
(続)