今日は兄口誘太郎という名前のお兄さんと会いました。
兄口さんは歴史や昔の色んなことについて調べている…ザイヤ? の民族学? 研究家だそうです。
(難しくてよくわかんなかった、後で調べます)
兄口さんに、芯張村のことを色々聞かれたので、思い出すために子供の頃のことを書いていこうと思います。
作文はあんまり得意じゃないけど、頑張ろう。
ぼくが昔住んでいた芯張村には、年四回、灯し参りというお祭りがありました。
三ヶ月ごとに行って、それまでの三ヶ月のうちにした悪いことを燈籠様に報告して赦してもらうというお祭りです。
ぼくは、この灯し参りがとても嫌でした。
灯し参りが始まるのは、日の沈んだ夜からです。燈籠様のいるお社に、火のついたろうそくを持ってひとりで行きます。どんなに怖くても誰もついてきてくれないし、自分の順番が来るまではご飯を食べたり寝たりしちゃいけません。
それに、灯し参りの夜の燈籠様は布のお面を被っていて、そのお面がなんだか怒ってるみたいな怖い顔なのです。暗い夜も嫌だけど、そのお面を見なきゃいけないのがすごく怖くて、灯し参りが近づくといつも憂鬱でした。
「それはね、この村に神さまがいてもらわなきゃいけないからだよ」
ある日、どうしても灯し参りが嫌で、チハヤおばあさんに聞いたことがありました。
『なんで灯し参りなんてしなきゃいけないの』って。チハヤおばあさんはお社の巫女頭で、なんでも知っています。
すると、チハヤおばあさんはそんなふうに答えました。
「灯し参りはね、村の人と神さまが信じ合っていることを確認するお祭りなんだ。村の人は神さまを信じてるから、誰にも言えないような悪いことや恥ずかしいことを神さまだけには言えるし、神さまも村の人を信じているから、どれだけ悪いことをしたってきちんと悔い改めてくれるからって赦してくれる。神さまが村の人を信じなくなったら、誰もお願いを叶えてもらえなくなるし、村の人が神さまを信じなくなったら、神さまはこの世には居られなくなる。お互いを大事にするためのお祭りなのさ」
その頃のぼくは、確か九歳になるちょっとくらい前だったと思います。
だから、チハヤおばあさんの説明をよく理解できませんでした。……正直に言うと、今でもあんまりよくわかりません。もう村の人は誰もいないけど、神さまのぼくはここにこうして生きています。
どうして神さまがこの世に居られなくなる、なんてチハヤおばあさんは言ったんだろう。
それに、燈籠様――ぼくが神さまになる前の代の神さまは、灯し参りのときはいつも怖そうな雰囲気で、とても悪いことを赦してくれるようには見えませんでした。給食のイナゴがどうしても食べられなくて残したことを言ったときなんか、ひどく肩を震わせて怒っていました。本当になんでも赦してくれるとは思えなかったのです。
「本当に燈籠様は赦してくれるの? ぜんぶ?」
そう尋ねると、チハヤおばあさんは悲しそうな苦しそうな顔をして黙り込んでしまったので、それ以上聞くことはできませんでした。
前の代の燈籠様は、しわくちゃのおじいさんだったと思います。
あんまりちゃんと顔を見たことがないけれど、灯し参りの時に見えた腕や手はしわがいっぱいで痩せていました。
多分、ぼくが燈籠様にならないで、お水還りをしなくたって、いつかは死んでいたんじゃないかと思います。
最後の灯し参りに見たときなんて、まるでミイラみたいでした。
燈籠様はいつも沢山のお供え物を食べているのに、どうしてがりがりに痩せていたんだろう。
あのときは……ぼくは燈籠様に何を言ったんだったっけ。よく覚えてません。もしかして、燈籠様が怖くて何も言えなかったのかも。
でも、そういえばあのときの燈籠様はいつもと様子が違ってたのを思い出しました。あの怖い布のお面を外して、しわしわのおじいさんの顔を出していました。そのときは怒ってるんじゃなく、なんだかつらそうな顔をしていたような気がします。
ぼくが驚いておじいさんの顔をじっと見ていると、おじいさんはぼくの頭にしわくちゃの手を置いて、
「すまぬ」
と、どうしてなのか謝ってきたのです。
なんでこの人はこんな顔をしているんだろう。ぼくは、どうして“神さま”に謝られているんだろう。
わけがわからなくて、嫌な気分になったのを覚えています。
今思えば、前の代の燈籠様は『みんなのした悪いこと』なんて聞きたくなかったんじゃないかと思います。
ぼくが燈籠様になって、灯し参りでみんなの話を聞くようになってようやくわかりました。行くほうも大変だけど、みんなが来るのを待ってるほうもずっと大変です。眠くて疲れてても、村の人が全員来るまで休むことができないからです。
おまけに、聞かされるのは「万引きをした」だとか、「隣の家の木から果物を盗んだ」とか、嫌な話ばっかりなのです。だから前の代の燈籠様はずっと怒っていたんだと思います。
どうでもいいのに、聞きたくもないのに、赦せだなんて。
でも、それが神さまの仕事なんだと思います。
神さまは、人間にできないことをするためにいるから。少なくとも芯張村の人は、そのために燈籠様を必要としていました。
芯張村の人は、みんな神さまに赦されたかったんだと思います。
最初の灯し参りで、一番最後に来たのはチハヤおばあさんでした。巫女や神官の人たちはてっきり参りには来ないと思ったけど、ちゃんと村の人全員が来るみたいでした。偉い人ほど後ろの方で、チハヤおばあさんが一番偉い人だったのです。
「わたしは、大切なひとを見殺しにしました」
チハヤおばあさんが告白した『悪いこと』は、そんな内容でした。
「あのひとは、本当は神さまになんてなりたくなかった。あのひとはずっと苦しんでいた。わたしたちはずっと、彼の苦しみを見て見ぬふりをしていました」
「あのひとが死ぬまで」
誰のことを言ってるのかわからなかったけど、そのときのチハヤおばあさんもつらそうな顔でした。誰かが赦してあげないと、ずっと苦しいままなんじゃないかと思いました。
本当は、赦しちゃいけないことでも。
人間だったら、赦せないことでも。
神さまは——人間にできないことをするものだから。
だったら、笑顔のほうがいいと思ったのです。
前の燈籠様みたいに怒っていたら、きっとみんな赦してもらったって思えないから。
ずっと怒ってる怖い神さまなんて、みんな嫌がって必要としないだろうから。
ぼくは、笑ってる神さまでいようと思ったのです。
「いいよ。赦してあげる」
そう言うと、チハヤおばあさんは楽になったように笑ってくれました。
ごめんねえ、ありがとうねえって言って、手に飴を握らせてくれました。
だから、これで良かったんだと思います
多分。
お腹が空いてきたので、今日の書き物はここまでにします。