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・灯し参り
芯張村で行われる定例行事。近隣の集落では見られないことから、芯張村の燈籠様信仰に深く関係するものと思われる。
年に数回、決まった時期に行われることや、夜通し催されることから庚申講との関連が考えられるが、九十日ごとの周期は芯張村独自のものである。
…私感だが、霧栄青年から聞いた話は少し引っかかる。彼本人も感じていた通り、わざわざ神に赦してもらうために悪事を報告するのは少し妙である。悔い改めや反省を告げるのではなく、神からの赦しを得るために向かうとは…。
古い時代では『燈籠様』が村の政や司法を司っていたのだろうか。しかし、それなら罰に相当する行動が伝わっていそうなものだが。
どうも、この祭り自体が『燈籠様に赦しを乞う』ために行われているような…いや、憶測は良そう。
『燈籠』という呼び名と、蝋燭を持ち寄る風習には何か符号を感じる。

・お水還り
「おみがえり」と読むか。文献に詳細が残されていないことから、燈籠様信仰に関わる秘儀と考えられる。
霧栄青年の話から推測するに、どうやら燈籠様の代替わりに関わる祭儀であるが…霧栄青年からは「よく覚えていない」と具体的な話を聞くことができなかった。秘儀であることも踏まえ、調査は慎重にすべきか。
芯張村には“御神池”と呼ばれる湖があり、水神の側面を持つ燈籠様にとって重要な祭儀であることは間違いない。
時間が取れ次第、旧芯張村跡地にもう一度調査に向かいたいところだが。

・先代の燈籠様
拝兼彦なる人物が芯張村水害の数年前に亡くなっていることが当時の新聞に掲載されていた。
霧栄青年と同じ苗字であるが、彼の口振りからするに血縁者ではないようだ。
個人的には興味が惹かれるが、彼本人の事情は燈籠様信仰と無関係である限りは深掘りするべきではない。プライバシーの侵害にならないように取材を続けていきたい。

霧栄青年と話した日の夜、私の身にいくつか奇妙な現象が起こった。
芯張村史、燈籠様信仰とは関係ないが、折を見て記していこうと思う。

6/2 兄口誘太郎

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