・芯張村水害
十年前の八月中旬、列島を襲った台風による歴史的豪雨で発生した。
山間部という立地の集落で、周囲の山々からの土石流、及び大きな湖の増水による浸水が、風雨で集落に閉じ込められていた住民を襲った。
近隣の市町村との交流が薄かったことや、村に繋がる道路が土砂崩れにより塞がれてしまったことも重なって救助も遅れ、住民のほぼ全員が犠牲になるという痛ましい災害となってしまった。
数少ない生存者は、折良く所用で外の街に出かけていた三十代の男性、祭事のために高台の神社に居た十一歳の少年のわずか二名である。
幸か不幸か、各地で台風による大災害が発生したため、彼ら二人にメディアからの残酷な追及はされなかったようだ。死者・行方不明者に関する報道以降の芯張村関連の記事を見つけることはできなかった。
…この少年が件の燈籠様──拝霧栄青年であると見て間違いない。彼は今二十一歳、当時はちょうど十一歳──だったはずだ。
凄惨な災害の、唯一と言っていい生き残り。迂闊に踏み込むべき話題ではないのは間違いない。
細心の注意を払って彼から話を聞こう。
・御嫁取り
燈籠様信仰における祭事の一つ。
当代の燈籠様が成人した、またはそう看做されたとき、村の者からひとり燈籠様の配偶者として選ばれ、婚姻が結ばれる。
燈籠様が男の代は御嫁として女性が、女の代は御婿として男性が選ばれる。
配偶者として選ばれるのは大概、籠目家の人間のようだった。
…全部、十年前に籠目選恵から教えてもらったことだ。
あの時彼女は暗に、自分が“燈籠様の御嫁”に選ばれる運命であることを語っていたのだろう。愚かな私は村の風習に興奮するばかりで、言葉の裏をまるで読もうともしなかったが。
御嫁を取った燈籠様は村の安寧と繁栄を約束する、とされていたようだが。
あの時の御嫁取り──私が行くことのできなかったあの夏の夜では、いったい何が起きたのだろう。
華燭の典。本来、人生で最も華やかな時間であるだろう結婚式で、なぜ彼女は生贄として捧げられなければならなかったのだろう。
・食虫文化
山間部の孤立した立地で食糧危機が発生しやすい芯張村において、昆虫食は日常的に行われていた。ただし、“燈籠様”と同一視、またはその使いとされるカマキリだけは食べられていなかったようだ。
十年前に私が村を訪れた時も、民泊の食堂でセミの素揚げやイモムシの照り焼きが食卓に並んでいた。
正直、かなりきつかった。村人達の白眼視よりもつらかった。
食文化を否定するなんてあってはならないことだが、さすがに生きた姿そのままで皿に載せられたものを食べるのはかなりの勇気がいった。
まあ、味はさておき。
霧栄青年も、都内で暮らす現在も昆虫食を続けているようだ。コオロギを食用で飼育していたり、時には公園などでバッタやセミやチョウを捕まえているとも言っていた。
しかし、食用で清潔に育てられたものならともかく、不衛生な都会で捕まえた蟲は身体に良くないのでは、と考えてしまうのは素人考えだろうか。
雑菌とか、寄生蟲なんかもいるかもしれないし。
蟲、といえば。
このメモを書いている最中、また吐き気に襲われた。洗面器に吐き出すと案の定、例の黒く細長い蟲が数匹、吐き戻した胃液の中で蠢いていた。
嘔気以外に今のところ実害はないとはいえ、やはり不気味である。捕まえて調べようとしてもいつのまにか消えてしまう。
いつもの幻覚だろうか? 今、私の後ろに居る彼女と同様に。
一応、虫下しでも飲んで様子を見よう。
6/23 兄口誘太郎