両親の姿を思い出せ、と言われたら、おそらく俺は顔よりも後ろ姿を真っ先に思い浮かべるだろう。
俺の知る限り、とてもとても弱い人たちだった。
先天的にそうだったのか、誰かに悪意を以ってそう仕向けられたのかはわからない。ただ俺が物心をついた頃には、一事が万事神頼みをせずにはいられないような有様だった。
息子がなかなか喋らない。息子の歯の生えが遅い。躾がうまくいかない。息子が言うことを聞かない──
ある時は“相談役”なる人間にあれやこれやと愚痴を言い、相談役が来ない日は仏壇に向かって数珠を擦り合わせていた。人間相手ならば助言の一つももらえるかもしれないが、仏壇に祈ったところで天から突然導きが降ってくるわけないだろうに。
しかしそれを真剣に信じ祈っていたのが俺の両親で――俺は二人が仏壇に祈り続けている背中を見て育った。
不合理だと子供ながらにすぐわかる。
子供のことを相談するなら、ものを言わない像ではなく医者や保健師だろう。俺が生まれて数年、そういった人間のところに連れて行かれたところはなかったが、適当な慰めしか言わない相談役よりもっとまともなことを助言する人間がいることくらいは想像できた。
両親は俺の扱いに困るたびに相談役や教団の上層部に訴え、その度新しい像だの数珠だの壺だのを大枚叩いて買わされることになっていた。それはなぜなら信心が足りぬ、加護が足りぬと吹き込まれて。相談役たちの言葉とは裏腹に実に敬虔な両親は大真面目にその助言を真に受け、あれやこれやと買い続けたのだ。
――神様はおまえを見捨てていない。きっと助けてくださるんだ。
――まだ子どもだからわからないだけなのよ。神様はいつだってあなたを見守っていてくれるのよ。
なんとかしなければ、と思った。
いくら両親が愚かで考えなしであっても、このまま良いように金を搾り取られる姿など見ていられなかった。
両親がものを考えられないなら、俺が考えなければ。金ばかり無心する“神”や教団ではなく、俺が両親を支えてやらなければ――そう思った。
俺と両親が暮らしていた寮内では新聞やテレビの視聴は厳しく制限されていたが、それでも慎重に方法を選べば学習ができないわけではなかった。信者の子供に渡される聖書や検閲を免れて本棚の隅に残った娯楽小説で読み書きと文法を学び、俺はどうにか両親を説得するための言葉を紡げるようになった。
お父さん、お母さん。二人とも、騙されているんだよ。相談役たちはお金が欲しいだけなんだ。神様神様って言うけど、その神様は全然助けてくれないじゃないか。早くここから出よう。人に騙されてお金を取られる生活なんて間違ってる――
俺の言葉を聞いた両親は、ひどく困惑した後、怒りと悲しみが混じった表情になった。
ああおまえにはまだわからないんだ子どもだから仕方ないどこでそんな悪い言葉を覚えてきたんだ最近変なテレビが流行ってるからそのせいよああこんな子どもだと知られたら一体どう思われるか大丈夫よ子どもの言うことだものこれからちゃんと教育すればいいのよ良いかい神様は目に見えないけれどちゃんといるんだ今も私達を見ているんだよあんなひどいこと言っちゃ駄目なのよ神様に謝りなさいお母さんもついててあげるからほら明日教会に行きましょうね神様の教えをきちんと聞き直しましょうそうだちゃんとおまえにもわかるはずだおまえは頭の良い子なんだから――
両親は俺の言葉をまるで聞こうともしなかった。
嘘ばかり吹き込む教団や、何も言わない像には必死で耳を傾けていたのに。
自分たちが生み育てた実の子どもの言葉には、まるで心を動かされないようだった。
……………………。
ひどく驚いたが、不思議と傷つきはしなかった。
いきなり自分たちの信仰を否定されて納得するわけがない。何しろ毎日の食事の献立から風呂での体の洗い方まで“ご指導”をもらわないと安心できない人たちなのだ。なのに、今日からいきなり誰に何も聞かずに自立して生活しろだなんて土台無理な話である。
弱い、か弱い人たちだったのだ。
幼い俺の想定よりも、ずっと。
――ほら、集会に行きましょう。神様の教えをしっかり聞いて、良い子にならないとね。
――外の悪い人たちの言葉なんか聞いちゃ駄目だぞ。神様は私たちが悪魔から誘惑されるのを守ってくれているんだ。
けれど俺は、そんな弱い両親をどうしても見捨てることができなかった。
今すぐは無理でも、いつかは理解してくれるはずだ。両親を傷つけないように、すぐ飲み込めるように、気持ちを考えて言葉を選び、くり返しくり返し根気良く説いていけば、いつかは。弱くはあっても、決して悪い人たちではないのだ。いつかは必ず、目を覚ましてくれると信じていた。
弱い人たちなのだから、俺が助けなければ。
きっと、俺はそのために生まれてきたのだから。
…………………………。
結局最後まで、そんなことはなかったのだが。
両親たちは俺に“教え”とやらの素晴らしさを説けど、俺の言葉に最後まで耳を貸すことはなかった。論理的な反論も、感情的な否定も、何を言えども両親の目から鱗を落とすことはできなかった。
あの日、集会所が火に包まれ、必死に避難を促してもなお。
――神様が守ってくださるのよ、心配しなくていいの。
――おまえもここにいなさい。教えに従うんだ、みろく。
上役に待機を命じられ、火の手と煙が迫る中疑いもせずに屋内に留まり続ける二人を、俺は助けることができなかった。
両親以外の他の信者たちも、仲良くなった同年代の子供たちも誰ひとり連れ出せないまま、俺はひとりで燃え上がる集会所から逃げ出した。
最後に見た二人の姿は、物言わぬ偶像に必死で祈りを捧げる後ろ姿だった。
どうしようもないほど弱く、愚かな人たちだった。
それでも助けたい、助けるべき人たちだと思っていた。
ただ――後になってふと気づいた。
俺の持っていた「助けたい」という感情の中に、きっと人間として持つべきであろう家族や血縁への情が入っていなかったことに。
俺はいつだって、両親ふたりのことを「助けるべき弱い人たち」としか思っていなかったのだ。
血を分けた父に対してではなく。生み育てた母に向けてではなく。たったひとりの息子としてではなく。一個の人間たちへ、平等に抱くべき観念として。
だから俺の言葉はあの二人には届かなかったのかもしれないと、今でも考えることがある。