「実は前に、籠目選恵さんに会ったことがあるんです」
三度の彼との対面時、ついに私はその話を切り出した。
「十年前――例の災害が起こる前、ちょうど君が“燈籠様”をやっていた頃、芯張村に旅行したことがありまして。その時出会って、知り合いになったんです。君のノートを読んでいて、思い出しました」
今回の待ち合わせ場所は和食ファミリーレストランだった。霧栄青年は海鮮ちゃんこ鍋を中心に次々とメニューを注文しては華奢な体に収めている。万年金欠の私は、それを横目におかわり自由のお茶をひたすら飲んでしのいでいた。
「黙っていてすみません。変な言い方をしたら、当事者の君を傷つけてしまうんじゃないかと思い……でも、やっぱり、どうしても気になって」
「……エリエお姉ちゃんのことが?」
霧栄青年は釜飯を食べる手を止めてしげしげと私を見る。
「はい。もしよかったら、彼女のこと、教えていただけませんか?」
彼を傷つけたくない、というのは概ね本心である。
ノートの記述を見るに、彼と選恵嬢がそれこそ姉弟のやように親しい関係だったのは自明であるし、赤の他人である私が下手に故人との関係性に触れようものなら彼の感情を逆撫ですることになりかねない。貴重な協力者たる彼との繋がりを今断つわけにはいかないのだ。
しかし、このまま核心に触れぬまま進めることも困難だ。私の生来の迂闊でいつ口を滑らせるかわかったものではないし、その場合のほうが彼の心が傷つく可能性が高い。
それに、今も私の背後に立つ少女の幽霊が、誰に、いかにして殺されたのかを探るのも私の目的の一つなのだ。
「――ああ、えっと! 話したくないことなら別に良いんです。思い出すのがつらいようなこともあるでしょうし……」
彼が茶碗を抱えたままフリーズし、しばらく考え込んでいる様子にやはり地雷を踏んだかと慌てて付け加える。
「本当にすみません、無神経なことを……」
「お兄さん、芯張村に来たことがあるの?」
しかし、霧栄青年の答えは私の予想からは外れていた。
「え、ええ。そうですけど……」
考えてみればこちらのほうが不用意な発言だったか、と気づく。今までこのことを話さずにやりとりをしていたのだから、不信感を持たれて当然か。
「十年前のゴールデンウィークに、二、三日ほど滞在しただけですが……」
「えっと……じゃあ、お兄さんが実は芯張村出身だとか、親戚に芯張村の人がいたとかじゃないんだよね?」
妙な念押しをしてくる青年。
さすがにこの段においてそんなどんでん返しはない。
「誓ってありませんよ。僕の出身は四国のほうですし、知り合いもさっき言った選恵さん……それから君しかいませんから」
「……ふうん」
霧栄青年がまた考えるように下を向く。
なんだろう、何がそんなに引っ掛かるのだろうか。
むやみやたらに観光名所でもない山中に突撃して滞在するのはそんなに妙な行動だろうか。
うんうんと考え込んでいる様子の霧栄青年だったが、やがて顔を上げて膨らませている頬を私に見せた。
「――もう! そういうことはちゃんと最初に言ってよね! そういう隠しごととか言った言わないの行き違いが信頼をなくす原因になるんだよ!?」
「返す言葉もありません……」
さすがコンプライアンス意識の高い現代の若者である。しっかりしている。
実際、そんなことがきっかけで人間関係を破綻させてしまったことがある。
何度もある。
「まさか、他にもまだ隠してることないよね? あとから『実は……』っていうの、もうナシだよ?」
「あはは……」
ある。
何個もある。
笑って誤魔化すしかない私に霧栄青年はじろりと冷たい眼差しを向けたあと、深いため息をついた。
「今日は特別に許してあげるけど。お兄さん、そんなにうっかりさんだといつか痛い目を見るよ?」
私は君のその懐の深さでいつか痛い目を見ないかが心配である。
「えっと、エリエお姉ちゃんの話だっけ。もうノートには何個か書いたと思うんだけど……」
「ほかに、何か覚えていることはありませんか? 日常の、些細なことでいいですから」
とはいえ――要求しておいてなんだが、私はあまり期待していなかった。
当時、選恵嬢が十五歳――高校生であるのに対し、霧栄青年は十一歳である。高校生と小学生、本来生活圏はほとんど重ならない。いくら仲が良く、何度か遊んでもらっていても、その回数はあまり多くないはずなのだ。
知り合いの仲の良いお姉さん――それ以上の関係があるのでもない限り。
「えっと、エリエお姉ちゃんが巫女の修行をしてて、それでお社によく来てたってのはノートに書いたよね?」
覚えがある。確か、『チハヤ』という名前の巫女のまとめ役が彼女の祖母で、その下で修業をしていたとか、なんとか。
「巫女の修行っていうのがよくわかりませんけど。チハヤおばあさんの跡を継ぐとかで、いろいろと勉強していたんですかねえ?」
「うん……それもあった、と思うんだけど……」
霧栄青年の言葉は、どうも歯切れが悪い。
「もしかしたら知ってるかもだけど、籠目家って、芯張村の中ではなんていうか、偉い人の家だったんだ。村長とかじゃないんだけど、何か村でトラブルがあったりすると、真っ先に籠目家に話が行ったりしてさ」
「村の有力者だったんですね?」
村を陰から牛耳る権力者……と書くといかにもミステリやホラーに出てくるきな臭い名家であるが、これは意外と珍しくはない。地主であったり、いわゆる庄屋や名主の家系が今でも敬われているのは当然だ。
「で、なんで籠目家がそんなに偉いのかって言うと、代々巫女のまとめ役をしている家系だからなんだって。普通の神社のことはよく知らないけど、宮司さん? ネギさん? なんだかそういう人たちが管理してるんだよね。でも芯張村は、昔から巫女が神社で一番偉い人たちだったんだ」
「巫女が……?」
初耳の情報である。
確かに巫女というとどちらかといえば下働き、神官たちの補佐的なイメージが強いが、歴史を遡ればその役割は祈祷、口寄せ、神楽とシャーマン/呪術師的な側面も強い。その系譜の代表たる恐山のイタコなどが今でも畏怖されている通り、地方、特に神社庁とかかわりのない集落であれば、独自の習俗として巫女重視の信仰が続いていてもおかしくはない。
しかし――こと芯張村において、信仰の中心は巫女ではなく“燈籠様”であるはずだが。
「巫女には燈籠様とは別の、重要な役目があって、だから燈籠様の次に偉いんだって。よく知らないけど、そこらへんの神社にいるバイトの巫女の人みたいな感じじゃなくて、もっと大事な役目」
「じゃあ――選恵さんの修行も、それに関連した?」
「そう……だと思う。うん……」
なんだろう、やはり歯切れが悪い。
何か、言いたくないことがあるかのような。
――どうにか、語らずに済む方法を探っているかのような。
「でも――エリエお姉ちゃんは本当は修行なんてしたくないって言ってたかな。チハヤおばあさんや村の人たちに言われてるからやめられないけど、巫女にもなりたくないんだって。村から出て、都会で遊んだり、別の勉強をしたりしたい、ってよく言ってたんだ」
もちろん、みんなには秘密でね、と霧栄青年は結ぶ。
「………………」
選恵嬢と話したときのことを思いだす。
彼女は私に対しても「村を出たい」と言っていたが――巫女、役目については何も触れていなかったと思う。
もちろん、村の部外者たる私に話すような内容ではなかろうし、別におかしくはないが……思えば周囲の、村の住民たちの目を気にしているふうもなくはなかった。
………………。
いや、やはり引っかかる。
家業を継ぎたくない、故郷を出たいと考えるのは若者なら当然の発想であろう。しがらみや抑圧で実際には上手くいかずとも、親や周囲と衝突しながら自己の意思を表明するのが反抗期というものだ。
それがまるで――口にすることすら許されていないかのような。
はなから選択肢が用意されていないかのような。
それともそんな旧弊的で封建的な扱いは、閉鎖的な集落であれば珍しくはない――のだろうか?
本当に?
「……なんだか厳しいお家だったんですね、選恵さんの家は」
「うん……」
やはり含みがあるような表情の霧栄青年から一度目を逸らし、私は横目で我が背後霊――幽霊少女の姿を幻視する。
君は逃げたかったのか?
そうだとしたら、いったい何から?
無論、相も変わらず幻影は堅く口を閉ざしていたが。
「大事なお役目……ですか。いったいどんな仕事なんでしょう、籠目家の巫女って。さすがにそこまではご存じじゃないですよね……」
いろいろと気になる部分は多かったが、さすがに当時幼い霧栄青年が知っていることは多くないだろう。根掘り葉掘りに追及するのもかえって良くない。今日の聞き込みは一旦ここで打ち止めにするつもりで、私は半ば独り言としてそんなふうに呟いた。
弁解のようになってしまうが、だから、答えを期待していなかったのだ。
ましてや――罪の自白など。
「およめさん」
正直に告白すると、私はこの時霧栄青年がなんと口走ったのか、正確には覚えていない。
あまりに唐突で、不意を突かれ、一瞬彼が喋ったことにすら気づいていなかった。
だが、おおよそこんなニュアンスの単語を口走ったのは間違いないのだ。
「……えっ、拝くん? 今何か言いました?」
彼が何やら呟いたことに気づき、私は慌てて聞き返す。
そうして見た彼の顔は――意外にも、ひどく驚いた表情だった。
「……拝、くん?」
「え……なんで、」
彼は明らかに狼狽していた。口を押さえ、その手も震えさせて。奇妙な言い方になってしまうが、自分でもなぜこんなことを言ったのかさっぱりわからない――というような様子だった。
まるで何者かが、彼の口を勝手に動かしでもしたかのように。
「あの……拝くん? すみませんが、もう一度おっしゃっていただいても?」
私は困惑のまま、彼に続きを促した。それが彼に何をもたらすのか、予想だにせず。
「お……よめ、さんに……なる、から」
「お嫁さん?」
霧栄青年は途切れ途切れに、さながら嗚咽が漏れるのを堪えられない様子で話す。
喉がひゅうひゅう鳴っている。
その奥で、くぐもった音が絶えず鳴っている。
「それってどういう、」
「エリエおねえちゃんは、およめさんになりました」
その瞬間。
霧栄青年は大きく身を捩らせ、口を覆った両手の隙間から吐物を溢れさせた。
「ぅげうぅううううう…………!」
「お、拝くん!? 大丈夫ですか!?」
青ざめた顔に脂汗を浮かべ、今しがた食べたばかりのものをげえげえと吐き戻す霧栄青年――異様な様子に近くの客がざわつき、異変を察知した店員たちが駆け付け彼を介抱しようとする。私は突然の事態に狼狽え、店員からの事情聴取をしどろもどろに答えることしかできない。
「いや……急に気分が悪くなったみたいで……とりあえず、どこか横になれるところに……」
その最中、横目で霧栄青年を見てふと気づく。
彼の吐いた吐物、それに触れた両手。あんなにも明瞭に、おぞましいほど大量にいるのに、誰もそれが視えていないようだった。
うねうねと這いずる蟲たちは、やはりあの時私の胎内に入れられたものと同じモノだろうか。
7/5 兄口誘太郎