・拝家
代々の“燈籠様”が名乗る苗字。
家系として拝家があるわけではなく、燈籠様を任命され、引き継いだ者がその苗字を名乗るしきたりのようだ。
霧栄青年も元は他の家で生まれた子を拝家の養子にするといった形で現在の苗字になったらしい。
燈籠様になる以前の彼らがどの家に生まれたのか、親はどこの誰かというのは燈籠様に任命された時点で秘され、触れるのも禁忌となる。
燈籠様はあくまで神、人としての名残りを残してはならぬということか。
・籠目家
芯張村における有力者の家系。
当時、村長は別の家の者が務めていたが、実質的な首長は古くから籠目家が担っていたようだ。
代々燈籠様を祀る社と、燈籠様が住まうとされる“御神池”の管理をし、村内の祭事・神事を取り纏めていた。
当時の家長は籠目チハヤ刀自、九十四歳という高齢ながら巫女頭として禰宜や巫女達を指導しながら燈籠様の世話をするという勤勉なご婦人であった。
社の中にこっそり忍び込もうとして、チハヤ刀自に見つかり外見からは想像もつかない大音声で叱られたことを今でも昨日のことのように思い出せる。
籠目選恵もその苗字の通り籠目家の一員で、チハヤ刀自の曾孫にあたる。
将来のために巫女として修行をさせられているのだ、とやや愚痴っぽく語っていた。
・御神池
「おがみいけ」、もしくは「おんがみいけ」。
池と呼ばれているが、水深の深さ・面積を基準にすると湖と呼ぶのが適当な大きさである。
“燈籠様”を依代にしている神――名前を呼ぶのは禁忌とされ、話題に挙げる際には湖の名を取ってか、あるいは拝をもじってか“オガミサマ”と呼ばれる──が住まうとされる。
山中の社はあくまで祈りの場や燈籠様の住まいのためであり、本来はこちらが正式な神域らしい。
神聖な地であるため禁足地とされ、村人はもちろん籠目家でもごく一部の者以外は立ち入ってはならないことになっていた。
現在は管理者がいないため放置されている。当然出入りし放題だが、そもそも山中の廃村へのアクセス自体困難であることは言うまでもない。
先日芯張村跡地に行った際に見たときは、なんの変哲もない湖のように見えた。プランクトンや蟲が多いのか濁っていて、清廉さや神々しさよりは恐ろしさや不気味さを感じさせる雰囲気だった。
あの水底には、一体何がいるというのだろう。
最近、水に溺れる夢をよく見る。
やはり御神池なのだろうか。
私の胎にいる蟲達はどうも水棲らしく、洗面所や風呂場、時には口をつけていた飲み水にも湧いてくる。
充分に育ち成体へ近づいたなら、早く本来の棲家である水場に戻りたいと思うに違いない。
寄生蟲の類にはフェロモンや神経物質を使い宿主の行動を操るモノがあるという。現在の宿主から別の宿主に乗り移るため、宿主を自死に至らしめたり、天敵に襲わせるように仕向けるのだ。
私が妙に旧芯張村や御神池に関心を惹かれるのも、きっとそれだと思ってしまうのは、流石に考えすぎだろうか。
7/1 兄口誘太郎