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 今後の記述において混乱と誤謬を避けるため、ある程度私という人間について開示しておくことにする。
 私こと兄口誘太郎は、日常的に幻覚を見てしまう人間である。
 無論、いわゆる違法薬物の濫用者ではないし、幻視を伴う脳疾患・脳損傷を患っているわけではない。幾度かの通院を経て、少なくとも脳や神経の器質的な問題によるものではないと診断されている。
 見える幻覚は、主に妖怪や幽霊──非現実的な架空の存在や現象、いわゆる怪異である。
 有り体に言って、枯れ尾花を幽霊と見間違える人種がこの私というわけだ。
 見ている私自身、街中に佇む落ち武者や墓場に浮かぶ人魂、海から伸びる手など全て現実に存在しないものと理解している。私の主観がどうであれ、他人には見えも聞こえもしないモノなのだ。こうなれば私の認識こそを疑わざるを得ず、どうやら先天的に精神かいずれかの感覚器官に異常をきたしているのだろう、と解釈することにした。
 色弱や難聴と似たようなモノと思えば、まあ、多少の摩擦はあれど生きていけないこともない。
 ただ、このように私が私の主観・視点で記述する際にはどうしても、観測してしまった怪異──霧栄青年との初対面で起こったアレがまさにそうだが──を完全に排除することはできない。怪異と遭遇している間、現実で何が起こっているのか、私がどう振る舞っているのか、まるで感知できないからだ。正直に誠実に我が身に起こったこを書こうとすると、酩酊した大法螺吹きによる怪文書のようになるし、周囲からの伝聞頼りの不確かな情報で記すのも物書きの端くれとして気が咎める。
 例えば今現在私の真上に人の顔のように見える煙が見えるとか、明らかに本筋に関与しない部分は一切省略し、なるべく現実に即した描写を心がけるが、少々のお目汚しは避けられない。
 どうか狂人の戯言と思って、寛大に読み飛ばしてほしい。

 

 というわけで日常的に幻覚にトリップしてしまう私である。私が度々観測し、今もこうして背後に立っている彼女──籠目選恵も当然幽霊もとい幻像であると一々説明する必要はないだろう。
 現在私が部屋を借りているアパートは築一世紀近いという大変な年代物で、真後ろには墓地といういかにもな立地のせいか私の幻視幻聴も甚だしくなった。気づくと部屋の隅に見知らぬ老婆が座って経を唱えていたり、窓から赤いワンピースの女が不法侵入しようとしてくるなどは日常茶飯事である。うっかりするとそのまま同居を余儀なくされることもしばしばで、我が家の台所はその都度用意した説得用の清酒で大半のスペースが占められている。
 だが、部屋に居着くのではなく私を追いかけるように常に周囲に憑いて回られるのはおおよそ初めてだ。
 彼女を視るようになったのは、先日旧芯張村を訪れてからである。村で彼女の姿を錯視して以来、四六時中彼女の気配を感じるようになった。
 意識すれば背後に、気を抜けば眼前に、床に就けば夢枕に。
 何を語るでもなく、ただ淡々と、当然のように其処に居る。
 ――幽霊を幽霊たらしめるものとはなんだろうか。枯れ尾花を在りもしないモノに誤認させる要素とは何か。
 例えば仮にこれを故人への未練や執着としてみよう。
 私と籠目選恵は決して長い付き合いでも深い仲でもない。ほんの二、三日話した程度の、縁と呼ぶにもか細い繋がりしかなかった。
 それなりに気が合った知人が災害に巻き込まれて亡くなったと知った時は、確かにショックを受けたが。
 ただ――それだけの関係だ。
 たったそれだけの心残りで、十年も前の知人の姿を幻視してそれが網膜にこびりつくようなことがあるだろうか。
 無理筋。
 主観的にも客観的にも、因果が弱すぎる。
 しかし実際、私はこうして籠目選恵を霊視しているのだ。
 痛くもない腹を探られているようで――臓腑を暴かれては未自覚の病巣を探されているようで、気が滅入る。
 私は、彼女に何を想っているのだろう。
 何の気掛かりが、彼女の幻を生み出しているのか。
 私が今旧芯張村について調査しているのも、自分の内面について省みる意味が多少含まれている。
 芯張村の独自の信仰・祭儀。
 ネットロアとして語られる旧芯張村近辺の怪談。
 何より――あの日、芯張村で何が起こったのか。
 頭から血を流し、手足を失った姿で現れる籠目選恵の幽霊は、きっとそれを明らかにすることで居なくなってくれると感じるのだ。

 

 ……とまあ、ここまである程度現実的な推論を立ててきたわけだが。
 全く非科学的な、迷信とオカルトに染まった考えをあえて披露するならば。
「これが原因だよなあ……」
 私は文机の引き出しから取り出した布切れを頭部を半壊した籠目選恵の幻に見せた。
 当然、返事はないのだけれど。
 先日旧芯張村へ訪れた際、社殿に残されていた遺留品のうちの一つである。
 これを手に取った瞬間、白い着物を着せられた籠目選恵が何者かに刃物を突き立てられる光景を幻視した。
 あの日、村人のほぼ全員が水害によって亡くなった芯張村において、彼女だけは何者かの意図による他殺なのだ。
 さて。
 彼女は何故殺され、その亡骸は何処へいった?

 

 


 6/30 兄口誘太郎

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